2009年06月26日

政権発足直後の6月7日

政権発足直後の6月7日、マリキ首相とアメリカ軍は共同で、イラク国内でテロを誘発してきたとされるザルカーウィー容疑者を、空爆作戦によって殺害したと発表した。成果は発足直後のアピールとして強調され、6月13日にはブッシュ大統領が電撃訪問してマリキを祝福したが、ザルカーウィーの配下は1,000名程度とされる一方、イラク全土の武装集団は20,000名以上と推測されており、アルカーイダも直後に後継者を発表したことから、政治的にも戦略的にも効果は薄いと見られる。実際、その後も一般市民を標的とした爆弾テロや、武装勢力による拉致、殺害、銃撃などは相次ぎ、2006年内のイラク国民の死者は3万4000人以上となった。政権発足後も状況に大きな変化はなく、米国政府とマリキ政権は相互不信に陥りつつあるといわれる。
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イラク政府は同国の安定化を模索する国際会議を3月10日にバグダッドで開催すると発表した。イランやシリアを含む周辺諸国のほか、米国をはじめとする国連安保理の5常任理事国、アラブ連盟、イスラム諸国会議機構(OIC)が招待された。4月にも開催予定で日本などサミット参加国も加わる。米側は国務省報道官の記者会見などで路肩爆弾による米兵への攻撃問題を取り上げたいと表明した。

2006年12月30日、サッダーム・フセインの死刑が執行された(→サッダーム・フセインの死刑執行)。

スンニ派イラク住民とアルカーイダの対立 [編集]
イラクのスンニ派の町では米軍に対する攻撃が盛んであるが、国外から侵入するアルカーイダ系勢力に対しても外国の武装勢力だとして武力衝突が生じていた。その一方で資金力に優れるアルカーイダと一部スンニ派武装勢力が対米攻撃で協力関係を結ぶなど、スンニ派地域へのアルカーイダの浸透も進んでいた。

2009年06月10日

アレルギー疾患のアプローチ

受容体に対する自己抗体が産生され、その自己抗体がリガンドと同様に受容体を刺激することで、細胞から物質が分泌され続けるために起こるアレルギー。基本的な機序はII型アレルギーと同じであり、刺激性という点だけが異なる。代表的疾患はバセドウ病。

アレルギー疾患のマネージメントを行うには、アレルギー疾患の鑑別のための問診、アレルゲン曝露から発症までの時間経過、症状の持続時間、全身性に症状があるのか、局所のみなのか、既往歴や家族歴があるのかといった点に注目すると整理しやすいといわれている。
頭痛
オーパーツ
社交ダンス
惑星
ラフティング
爬虫類
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流鏑馬
犬ぞり
華道
日本の建築
家電の昔
江戸の歴史
湯・茨城
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安土桃山時代
湯・長崎
裁判所について
アリさんの一日
カラオケ・ばんばん

もしアレルギー疾患を疑うのならば、まずはI型アレルギーのよるものかそれ以外、非I型アレルギーによるものかを区別すると診断にたどり着きやすくなる。I型アレルギーによるものならば、即時型アレルギーといわれるようにアレルゲン曝露をしてから5分から90分以内に発症することが多いといわれている。I型アレルギーで特に救急医学で重要視されているのがアナフィラキシーショックである。重度のI型アレルギー反応においては早期のアドレナリン投与がもっとも重要であるといわれている。早期にボスミン0.3mgの筋注を行うことで死亡率の減少がみられるだけではなく、数時間後に起こるといわれている第二相反応の防止効果もあるといわれている。再発ともいえる第二相反応のリスクがあるために蜂に刺されたなどの理由でアナフィラキシーを起こした人がERに来た場合は5時間ほど安静にするか、リスクを十分に説明しておく必要がある。アドレナリンの投与方法は大腿前外側部の筋注がすすめられている。

アレルギー疾患であると診断がついたとき、最も基本となる治療は原因抗原の回避と除去である。接触などは比較的容易に防げそうだが決して簡単ではない。例えば、ハウスダストや猫などに対するアレルギーの場合、アレルギー症状が起こりにくいレベルまで吸入抗原の濃度を減少させるのに数か月を要することも少なくないからである。またアレルゲンには交差反応という現象も知られており、ラテックスとバナナ、白樺花粉とりんごといった、一見関係のないように思える物質でも症状を誘発することはありえる。

アレルギー疾患の頻度は年齢によって大きく異なることが知られており、非典型的な年齢において発症した場合は他の疾患を念頭に置いた方が良い場合がある。例えば成人発症のアトピー性皮膚炎を疑う場合は、鑑別としてT細胞性の悪性リンパ腫も考える必要がある。

2009年06月07日

短甲(たんこう)は弥生時代から古墳時代にかけて

短甲(たんこう)は弥生時代から古墳時代にかけて用いられた甲(鎧、よろい)の形式名のひとつ。 木製・革製・鉄製のものがあり、原則として肩から腰の胴体を保護する。胴甲。 主に古墳の副葬品として出土し、埴輪や石人にも見られる。方形や三角形の鉄板や革などの素材を人間の胴体に合うように加工し、板を合わせて鋲で留め蝶番による開閉装置が施された。腰部がくびれた形となっている。

副葬品として出土する甲には2代形式があり、「短甲」の呼称は奈良時代の文献である『東大寺献物帳』(天平勝宝8歳・756年)や『延喜式』などの文献において「短甲」と「挂甲」の記述や見られるため、明治期の考古学や歴史学において歩兵用と騎馬兵用に対応するとして「短甲」の名称が当てられた。文献においては「短甲一領」が胴部のみのものを意味し、「短甲一具」が草摺や冑、肩甲、頸甲、篭手、脛当などの装備一式を意味すると考えられているが、一具の出土例は見られない。

現存するのは主に鉄製や金銅製のものであるが、有機質材料が併用されていた可能性が指摘されており、近年は弥生時代終末期の遺跡から木製や革製、植物繊維を編んで漆を塗ったものなどさまざまな有機質材料の短甲も出土している。木製短甲は丸太の湾曲部を残して刳り貫いたものや、方形板を合わせて漆を塗ったもので、文様や着色などの装飾が施されているものもある。
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木製短甲は、背側と胸(胴部)側を別個につくり、紐で綴じ合わせる型式のもので、弥生時代後期の静岡県浜松市伊庭遺跡の溝から出土し、古墳時代の実例は、奈良県橿原市坪井遺跡の前期の溝から出土している。前者の短甲はヤナギ材でつくられており、前胴に当たる部分と背当ての部分の2点が出土している。表面には同心円文や渦巻文、平行線文、羽状文、三角文などの文様が凸状に明瞭に刻まれている。さらに、それらの文様は赤色顔料や黒漆で塗り分けられている。材質が木製であることや呪術的な文様などから実戦用ではなく祭具用と考えられている。

古墳時代には鉄製短甲が出現し、横矧板鋲留が安定した形式として普及する。6世紀には出土遺物としては見られなくなり、桂甲(けいこう)に代わられている。

中国の歩兵用の鎧の影響が色濃く、同時期に用いられた鎧に、中国北方の遊牧民の騎兵用の鎧の影響を色濃く受けた挂甲(けいこう)がある。また、平安時代の大鎧には短甲の胴部開閉方式が継承されているとする指摘もある。

2009年04月23日

空気を読めない人

いわゆる「場の空気を読めない人」と呼ばれる人々の中にも数種類のタイプの人がいる。「場の空気」自体を読めない人と、「場の空気」はおおよそ読めているが適切な振る舞いを思いつかない人や、思いついてもあえて場の空気に即した振る舞いを行わない人がいる。

「場の空気を読めない人」に対して「場の空気を読め」とだけ叱って済ませてしまうことは、決して賢い方法ではない。内藤誼人によると、「場の空気」自体を読めない人は、場の空気に対する自覚が無いことが多いので、単に「場の空気を読め」と叱るよりも、むしろ「さっきはお客様の話に相槌を打つこともせず、書類ばかり見ていたね」といったように具体的なことを伝える方が状況改善、問題改善につながることが多い。指摘のタイミングについても、その場の状況を忘れてしまわないよう早い方が望ましいとしている。
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「場の空気」は読めているものの適切な振る舞いを思いつかない人に対しては、適切な振る舞いの例を言葉で語ったり、具体的に自分でおこなって見せるなどの方法もあるだろう。 また「場の空気」自体は読めて適切な振る舞いも知っているが、あえてそれを実行しない人については、何故そのような態度をとるようになったのか、まずはその人の事情・真情・考え方などを探った上で適切な対処をとるほうがいいこともあろう。あるいは、むしろ反対に、集団内に広まっている考え方や行為を反省、すなわち自己反省すべき場合もあろう。時には「場の空気」を醸し出している側が、適法・適切ではない考え方や行為等をしている場合もあるからである。

「場の空気を読めない人」への接し方も、振舞い方に関する判断と同様に、技量・価値観・哲学・人生観・生き様などにかかわることなので、唯一の正解があるわけではなく、やはり議論が尽きない。

冷泉彰彦による空気の分類・分析と問題改善の提案
冷泉彰彦は3人以上の場における空気と、二人だけの会話における空気を区別して考察している。猶、冷泉は「空気」を日本人特有のものであると本質主義的に捕らえていることに注意。(冷泉は、著書において表現を簡略化するために、3人以上の場合の空気を「場の空気」、二人だけの場合を「関係の空気」と呼び分けているが冷泉以外は基本的にそのような表現を用いていないのでこの名称自体は日本語としては受け入れられていないと考えられるのでここではその用語は控える)。そしておおまかに言えば3人以上の空気に問題が生まれがちで、2人だけの場合の空気は必要なもので肯定されるべきものとといった仮説のもとで書いている。

冷泉は二人の場合の「空気」とは、二人の間、聞き手と話し手の間で共有されている情報のすべてだとする[11]。事前にラーメンについて語っていた二人が、実際にラーメン屋でラーメンを食べた後で「うーむ」とだけ言った場合の例などを分析して、あえて全てを言葉で表現しないで省略することで、もともと二人のあいだに情報を共有しているというメッセージが送れるのだから、共感性や親近感が高まるコミュニケーションとなる、と述べる。また、恋人同士の他愛のない言葉のやりとりの例も挙げ、二人にだけは何を語っているのか明白な状況であえて具体的な話題そのものを口にしないことで互いに親密の度合いを楽しんでいるとし、肯定する[12]。 日本人には言葉の表現スタイルを相手に合わせようとする習性があるとする。日本人は幼児相手には幼児風に話してしまうし、外国人と話す時は無意識のうちに外国人風の不完全な日本語を話したりするし、業界人と話す時は普段使わないような業界用語を使ってしまう、相手が省略語を使うとそれに合わせる省略語を使って省略語を世に氾濫させたりする、とする。それもこれも二人の間で空気を維持したい、親密さを維持したいということなのだとする。この場合の空気は一対一の関係性そのもので、重要な要素であるとし、肯定する。

ただし、関係が維持できているうちはいいのだが、複雑化した現代、人間同士の関係が破綻することは起きるのであって、そのような時には錯綜する利害関係の調整しなければならないが、空気重視、親密さ重視の日本語(日本人の表現スタイル)が事態に追いついていない、日本語の表現スタイル・日本人のコミュニケーションスタイルは「複雑さ」とうまくやってゆく機能が不足していると冷泉は指摘する。

冷泉は山本の『空気の研究』で使った「抗空気罪」などの表現に言及した上で、山本の死後も日本の状況は変わっていないと述べ、企業や学校での例を挙げる。3人以上のコミュニケーションでの空気は様々な問題を生んでいると指摘する[14]。日本人は、省略表現、指示代名詞、略語、ニックネームなどの一種の暗号を頻繁に用いることで、互いに共通のデコード情報を共有していること、共通の理解があることを確認しあっており、目先の親密さ維持だけを重視するあまり、親密さの表現のスタイルが乱れるだけでもそれに感情的に反応して、「抗空気罪」を適用して断罪するのだ、とする。そこに問題がある、とする。というのは、一対一の場合ならば、「暗号」が復元できないでも、「"例の件"って何だっけ?」と気軽に聞き返せるのに、3人以上の場では空気を乱したとして顰蹙を買い「抗空気罪」が適用されるため尋ねることもできず、情報の伝達が滞り、聞き手には疎外感が残り、話し手には"分からないやつがいる不快感"が生まれてしまう、とする[15]。一対一の時には有益な話法であっても、それが3人以上の会話、公的な場に持ち込まれると、権力を暴走させてしまうことになり合理的な判断や利害調整を妨害し始める、と指摘する。

そうした問題点を解決するために、日本人はもっと聞き手のことを配慮して、省略表現やニックネームなどの「暗号」の使用を控えて、例外的なメンバーのことも意識しつつ多少冗長であってもいいからものごとをきっちりと言葉で説明するようにすべきだと冷泉は提案する[17]。また他にも、慣れ合いを感じさせる語尾を安易に用いず、自分が目上であろうが目下であろうが「です、ます」などの表現を標準表現として積極的に用いるべきことなど、いくつかの提案をしている

2009年04月22日

長江文明

長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る[1]。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。

また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある
20世紀前半に黄河文明の仰韶文化が発見されて以来、黄河流域で多くの遺跡が見つかったことで中国の文明の発祥は黄河流域であり、その後次第に長江流域などの周辺地域に広がっていったとの見方が支配的であった。

しかし1973年・1978年の発掘調査で発見された浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)により、この説は覆される。河姆渡遺跡は紀元前6000年 - 紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。稲作を行っていた事からその住居は高床式であった。

このように河姆渡遺跡は明らかに黄河文明とは系統の異なるものであり、それまでの中国文明=黄河文明と言う図式のみならず、古代文明=世界四大文明と言う図式をも壊し、当時の定説を大きく覆す事になった。

更に東北の遼河周辺でも文明の痕跡が発見されるに至り、現在では遼河周辺、黄河上・中・下流域、長江上・中・下流域に分類し、それぞれが互いに影響しあい、かつ独自の発展を遂げていったと考えられている。

長江文明の特徴
初期段階より稲作が中心であり、畑作中心の黄河文明との違いからどちらの農耕も独自の経緯で発展したものと見られる。長江文明の発見から稲(ジャポニカ米)の原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もここと見られる。日本の稲作もここが源流と見られる。

中流域の屈家嶺文化(くつかれいぶんか、紀元前3000年? - 紀元前2500年?)・下流域の良渚文化(りょうしょぶんか、紀元前3300年? - 紀元前2200年?)の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化が移植されている。黄河流域の人々により征服された結果と考えられ、黄帝による三苗の征服などの伝説は、黄河文明と長江文明の勢力争いに元があると考えられ、三苗はミャオ族の祖と言われる。
ドタキャン ターム みゅすか オプテ オースト ヌクレ バコマ ソプラ シャン ライナ オオボ チョン ネコン ブロス ロード おおだま バリア チャーム ヤブコウジ シアター 風模様 フェニック ジェット サーチ群青 トウバ マルア コンバレー サンベ ジャンパ アパチャー フィジカ キュリー スカンジ シガー タワナ マンガ グーイ デュオ トリレ ラジアン ピーチ パール チーム ビースト オシロ エリトリア トラッ トデー 樹やしき リュウノヒゲ


河姆渡遺跡からは玉で作られた玉器や漆器などが発見されており、また呉城文化(紀元前1400年? - 紀元前1000年?)からは磁器が発見されている。中国文化の重要な一翼を担うこれらの文物の源流がここから出たのではないかとする説もある。

これらが後の楚・呉・越に繋がったと考えられるが、どのような流れをたどって繋がるのかは未だ解らない。本格的な発掘が始まってより30年ほどしか経っておらず、発見されたものの量に対して研究が追いついていないのが現状である。

四川盆地では長らく文明の発見が無かったが、1986年に四川省広漢市の三星堆遺跡(さんせいたいいせき)から大量の青銅器などが見つかり、一気に注目されるようになった。

四川は地形的に他の地域と途絶しており、そこで発見された文明は黄河・長江とも異質な文明を発展させていた。そこで四川文明と分類されることもある。

三星堆の特徴として怪異な面が多数発掘されることがあり、青銅の人像の顔に被せられた黄金面も発掘された。古代にあったとされる蜀の国だと考えられる。この蜀国は『史記』ではほとんど登場せず、まだ中華文明の視野の外の地域であった。唯一、秦の恵文王の紀元前316年に司馬錯によって滅ぼされて、秦の版図に入ったことが記される。

なお蜀地域の地域史書である『華陽国志』ではこの古代蜀についての詳しい記述があったが、黄河文明中心史観の時代にあってはこれらの文献は想像の産物だと思われていた。しかし三星堆遺跡の発見で一躍現実味を帯びたものとなった。

2004年現在、長江文明・四川文明とも体系化された文字は見つかっていない。ただし、文字様の記号は見つかっており、その年代は紀元前2000年 - 紀元前600年とされている。現在出土している最古の甲骨文字が紀元前1300年くらい(武丁期)のものなので、これが文字だとすれば甲骨文字に先んじた文字ということになる。

一覧
長江文明
玉蟾岩遺跡(ぎょくせんがんいせき)
湖南省道県。紀元前14000年? - 紀元前12000年?のものとされる。稲モミが見つかっているが、栽培したものかは確定できない。
仙人洞・呂桶環遺跡(せんにんどう・ちょうとうかんいせき)
江西省万年県。紀元前12000年頃?。栽培した稲が見つかっており、それまで他から伝播してきたと考えられていた中国の農耕が中国独自でかつ最も古いものの一つだと確かめられた。
彭頭山文化(ほうとざんぶんか)
湖南省澧県彭頭山遺跡(澧はさんずいに豊)を代表とする。紀元前7000年? - 紀元前5000年?。散播農法が行われており、中国に於ける最古の水稲とされる。
大渓文化(たいけいぶんか)
四川省巫山県大渓遺跡を代表とする。紀元前4500年? - 紀元前3300年? 彩文紅陶(紋様を付けた紅い土器)が特徴で、後期には黒陶・灰陶が登場。灌漑農法が確立され、住居地が水の補給のための水辺から大規模に農耕を行う事の出来る平野部へ移動した。
屈家嶺文化
湖北省京山県屈家嶺遺跡。紀元前3000年? - 紀元前2500年? 大渓文化を引き継いで、轆轤(ろくろ)を使用した黒陶が特徴。河南地方の黄河文明にも影響を与えたと考えられる。
石家河文化(せつかがぶんか)
屈家嶺文化から発展し、湖北省天門市石家河に大規模な都城を作った紀元前2500年頃を境として屈家嶺と区別する。この都城は南北1.3Km、東西1.1Kmという大きさで、上述の黄河流域の部族と抗争したのはこの頃と考えられる。
河姆渡文化
紀元前5000年? - 紀元前4000年?下流域では最古の稲作。狩猟や漁労も合わせて行われ、ブタの家畜化なども行われた。
馬家浜文化(ばかほうぶんか)
浙江省嘉興県馬家浜。紀元前5000年? - 紀元前3800年? 河姆渡文化を継承、発展させた。灌漑が行われ始め、紅陶が特徴。
崧沢文化(すうたくぶんか)紀元前3800年? - 紀元前3500年?
玉による腕輪など、装飾品が作られ始めた。
良渚文化
浙江省余杭市良渚鎮。紀元前3500年? - 紀元前2200年? 馬家浜・崧沢を受け継いだ。多数の玉器の他に、絹が出土している。分業や階層化も行われたと見られ、殉死者を伴う墓が発見されている。黄河文明の山東竜山文化とは相互に関係があったと見られ、同時期に衰退したことは何らかの共通の原因があると見られている。
呉城文化
江西省樟樹市呉城鎮。紀元前1400年? - 紀元前1000年?黄河文明とは異質な青銅器を特徴とし、原始的な磁器なども出土している。

四川文明
三星堆遺跡
紀元前2600年? - 紀元前850年?大量の青銅器が出土し、前述の他に目が飛び出た仮面・縦目の仮面・黄金の杖などがあり、また子安貝や象牙なども集められており、権力の階層があったことがうかがい知れる。青銅器については原始的な部分が無いままに高度な青銅器を作っているため他の地域、おそらくは黄河流域からの技術の流入と考えられる。長江文明と同じく文字は発見されていないが、「巴蜀文字」と呼ばれる文字らしきものがあり、一部にこれをインダス文字と結びつける説もある。


注 - 年代には100年単位で誤差がある。同じ系統と見られるものは同じ色で示した。色が付いてない部分については他との関係が見つかっていない、まだ判明していないものである。数字は全て紀元前。黄河流域は参考のために上げただけでこれ以外にもたくさんある。

2009年04月05日

曲亭馬琴

曲亭 馬琴(きょくてい ばきん、明和4年6月9日(1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日(1848年12月1日))は、江戸時代後期の読本作者。著作堂主人とも。本名は瀧澤興邦(たきざわ おきくに)、漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により滝沢興邦とかく。後に解(とく)と改める。

筆名の曲亭馬琴は、読み方を変えると「くるわでまこと」(廓で誠)、すなわち遊廓でまじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味である。なお、現在は多くの本や教科書に滝沢馬琴と書かれているが、これは明治以降に使われるようになった表記であり、現在確認できる限り本人は滝沢(瀧澤)馬琴という筆名は用いていない。

江戸深川の旗本・松平鍋五郎の屋敷の用人、滝沢興義の三男として生まれる。9歳の時に父が亡くなり、その翌年に長兄から家督を譲り受け松平家に仕えるが、15歳の時松平家を出て放蕩生活に入る。24歳の時に山東京伝の弟子となり、戯作者として出発した。

寛政5年(1793)27歳の時に蔦屋重三郎の世話で生活のため履物商会田家の未亡人お百の婿となる。商売には精を出さず後顧の憂いなく文筆業に打ち込み、家業におろそかであったため、いきおい夫婦仲は険悪だった。『椿説弓張月』のような読本のほか、より通俗的で発行部数の多い黄表紙や合巻などの草双紙も多く書いた。ほぼ同時代に大坂では上田秋成が活躍した。

『南総里見八犬伝』の執筆には、文化11年(1814年)から天保13年(1842年)までの28年を費やした。最後の所を書いていた頃には老齢と長年の多忙な作家活動のため目が見えなくなっており、息子の宗伯の妻、土岐村路(お路)に口述筆記をしてもらっていた。このことにも妻のお百が嫉妬し、何かとお路をいじめていたという。

文政7年(1824年)58歳まで、飯田町世継稲荷(現・築土神社)下にあった会田家に居住。その後は晩年まで、神田明神下にあった息子の宗伯宅(秋葉原の芳林公園付近)に居住した。晩年に執筆していた『傾城水滸伝』や『近世説美少年録』の完結を見ないまま、嘉永元年(1848年)82歳で死去する。命日の11月6日は「馬琴忌」とも呼ばれる。

中年以後の日記が残っており、芥川龍之介はこれに基づいて『戯作三昧』を書いたが、以後、小説に登場する馬琴は老人であることが多い。杉本苑子『滝沢馬琴』、平岩弓枝『へんこつ』、森田誠吾『曲亭馬琴遺稿』などがある。山田風太郎『八犬伝』は、八犬伝の筋を紹介しつつ馬琴の生活も描くものである。

作品 [編集]
『新累解脱物語』(しんかさねげだつものがたり)1807年(文化4年)発行、画:葛飾北斎
『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき)1807年-1811年(文化4年-8年)発行、画:葛飾北斎
『三七全伝南柯夢』(さんしちぜんでんなんかのゆめ)1808年(文化5年)発行、画:葛飾北斎
『俊寛僧都夢物語』(しゅんかんそうずゆめものがたり)1808年(文化5年)発行、画:歌川豊広
『松染情史秋七草』(まつそめじょうしあきのななくさ)1809年(文化6年)発行、画:歌川豊広
『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん)1814年-1842年(文化11年-天保13年)発行
『朝夷巡島記』(あさひなじゅんとうき)1815年(文化12年)第1集発行(未完)、画:歌川豊広
『傾城水滸伝』(けいせいすいこでん)1825年(文政8年)第1集発行(未完)、画:歌川豊国、歌川国安
『近世説美少年録』(きんせいせつびしょうねんろく)1829年-1830年(文政12年-13年)発行、画:歌川国貞、魚屋北渓
『開巻驚奇侠客伝』(かいかんきょうききょうかくでん)1832年(天保3年)第1集発行(未完)、画:渓斎英泉など
『風俗金魚伝』(ふうぞくきんぎょでん)1839年(文政12年)上編発行、1840年(文政13年)二編(一・二巻)発行、1831年(天保2年)二編(三・四巻)発行、1832年(天保3年)下編下発行。画:歌川国安

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2009年03月21日

方の旅客鉄道会社等の私鉄でも座席指定

地方の旅客鉄道会社等の私鉄でも座席指定が行われており、その目的は駅のプラットホームの安全対策、快適性等を目的として利用されることが多い。

前者の場合、乗降する駅により、駅の階段やエレベータに最も近い車両を自動的に選択したり、1つの昇降口に人があふれないような配慮がなされている。
こどまり バーベキュー スターライト ハンバ むぎわら ヘデラ スクエア レポレート タチアオイ かささ あとがま レムリア 紙飛行 モノカイ サフル サウジ ラノオ ダクション かしはら デコラ フルス レべリング クンツ フェライト かぶとが ピンチ ナビユタ わらび野 コロポ リパー ライセ あねご トーテム 世界一周 しゃな ロコモー シュー ファーム てごろ ンソウ ドライ リード オミット ドルチェ イズム セッティ スイート ハジサー つきほと 桃一郎

また、車内では中程から座席を埋めることにより比較的揺れの少ない席から座席を埋めるなどカーブなどの際の揺れに対する快適性も考慮されている。

全車両で乗車に運賃のほか特急料金等の料金が必要な優等列車は、大手私鉄ではほぼすべて全車全席指定で運行されているが、中小私鉄では、全車で特急料金または急行料金が必要ながらも、指定席のほか自由席が設定された優等列車、または指定席を設けず全車自由席の優等列車も存在する。

また、JR東海から伊勢鉄道線に乗り入れる特急「南紀」と快速「みえ」には一部指定席を設けてあるが、線内の指定席料金は不要となっている。ただし、伊勢鉄道線内のみの指定席利用はできない。

南海電気鉄道の特急サザンと名古屋鉄道の相当数の特急列車は、通勤・通学輸送向け車両(名鉄では一般車)とリクライニングシートによる車両(名鉄では特別車)の併結で運行され、通勤・通学輸送向け車両はすべて自由席かつ運賃のみで利用できるが、リクライニングシート車では全席指定制をとり、運賃以外に座席指定料金または特別車料金(特別車両券)が必要になる。これらの料金は特急料金とも一般の座席指定料金とも異なり、JRの指定席グリーン料金同様の、より質の高い座席の利用と座席指定の双方を兼ねた料金だといえる。

一方、大手私鉄の全席指定の優等列車や一部特別車の名古屋鉄道特急列車では、乗車前に座席指定のある特急券または特別車両券を予め購入せずに、乗車または特別車で着席した場合、車内で座席指定のない特急券または特別車両券を購入する必要がある。その場合、空席または空いた特別席に着席できるが座席は保障されず、座席指定を受けた乗客が来れば他の座席に移動する必要があり、全車または特別車が途中から満席となれば立席利用か一般車利用となり、JRの立席特急券同様だが、料金は座席指定のある特急料金・特別車料金と同額である。

また、私鉄でもJRと同様に、SL列車やトロッコ列車など観光・レジャー目的の列車では、優等列車扱いかそうでないかを問わず、座席指定制をとる例が見受けられる。大井川鐵道のSL急行、嵯峨野観光鉄道の例が挙げられる。

2009年03月06日

蒸気船時代の海戦戦術

蒸気船時代の海戦戦術(じょうきせんじだいのかいせんせんじゅつ、英:Naval tactics in the Age of Steam)は、蒸気機関の鋼板被覆軍艦が帆船の戦列艦を時代遅れにした1860年代から、航空母艦や潜水艦が艦隊の主力となった1940年代(第二次世界大戦)までの間に海戦で用いられた戦術である。

この時代の戦術は、巨砲を擁するドレッドノート級戦艦の建造から特に発展した。他にも機雷、魚雷、潜水艦および航空機が新しい戦術を提供し、その対抗手段としての対潜水艦戦や幻惑迷彩のような戦術も開発された。蒸気船時代の後期には、航空母艦や潜水艦が艦隊の主力となり、戦艦の時代が終わった。

1815年ナポレオン戦争の終結から、1904年日露戦争の開始までの90年間、大きな海戦が無かったということは、注目すべきことである。海上での戦闘や長い海上封鎖はあったが、大がかりで準備の整った海軍同士の決戦は発生しなかった。

この期間に、船の推進方法、武装および建造法に大きな変革が起こった。19世紀の第2四半世紀、最初は補助機関として蒸気機関が軍艦に採用された。クリミア戦争(1854-1856)では大砲が大きな技術的発展を遂げた。さらに軍艦の装甲に鉄が用いられるようになった。炸裂弾の使用が一般的となり、火砲の威力が増すにつれて、燃えやすい素材である木材を軍艦に使用することが危険であると認識された。このような変革は、船の推進方法、武装および建造法に関する考え方の変革が相互に影響し合ったからこそ起こったものだということができる。

衝角戦術の再登場
蒸気機関によって船が自由に航走できるようになったので、衝角戦術が復活するのではないかと多くの者が考えた。1866年リッサ海戦で、オーストリアの鉄板被覆艦「エルツヘルツォーク・フェルディナント・マクス」が「レ・ディタリア」を沈めた時、この仮定に説得力をもたらしたように見えた。事故による衝突、たとえばイギリス軍艦の「バンガード」と「アイアン・デューク」、「ヴィクトリア」と「キャンパーダウン」のような例は、蒸気船の衝角戦術で致命的な損傷を与えられることを示していた。しかし「レ・ディタリア」の沈没も事故的な要素が強く、蒸気船の衝角戦術は実用的ではないことが明らかになってきた。

2つの船が十分操縦可能な場合は、動くスペースさえあれば衝突を容易に回避できる。乱戦の場合は衝角戦術を使う機会があるかもしれないが、魚雷や機雷が使われ始めると、敵の艦隊に突進することが危険であると認識された。それ故に魚雷が乱戦と衝角戦術を駆逐したと言われる。

衝角戦術を選択することは、それに相反する、以前の船腹に大砲を並べる手法を衰えさせることに繋がった。衝角戦術を取るときや乱戦に突入するような場合、船首を敵に指向して戦う必要があるので、多くの艦船は船腹よりも前方に(時には船尾に)火器を置くように改められた。そうでなくても産業革命の結果としてより大きな大砲が開発され、鉄や鋼での装甲が増えたことで、船腹の大砲は遅かれ早かれ廃れてしまう戦術だった。大砲が大型化すれば搭載数を減少させる必要があるが、尚も、より広い範囲を攻撃できる機能を求められる。これは巡航性能にとってはマイナスであり、多くの場合、前方に直接砲撃することによる爆風で上部構造物や甲板、艤装などに損害をもたらした。このことは衝角戦術を無効にしたもう一つの要因である。
ビレッジ ジュレーター ララバイ 幸せの鳥 モノライン ギンヌン オプシン レンズ じゅん ナッパ トマト データ リデュース ピンサロ ブッフェ ニング エンド ちゃうす デンド ドライブ クロマ レトロ シロホン タンタン オーダ キットキ メソポ オフデ スイス デシベル ノニ チョコ ムルデ ジャバ オパール ソワニ カノン カキラン ニズム ロード フィード シュルント ミードテ リニアック たてあな ランナ バギナ パイント ドスキン ヨーデル

魚雷の開発
19世紀の末に魚雷が開発され、戦術に新たな不確実性要素が加わった。魚雷は水中を一定の深度で動く水雷であり、特定の目標に向けて発射でき、目視し難いものであり、水面下で爆発する。その動きが予測し難い全く新しい発明であった。魚雷単独では海戦における決定的な武器にはなり得ないのではないかという疑問が呈されたが、その能力が発揮されたときには大きな効果を生み出すことは疑いえなかった。小さな舟艇が大きな戦艦を魚雷で破壊できることから、フランスでは、前者(小さな舟艇)が後者(戦艦)を海上から駆逐するという説が最も説得力を持って支持を集めた。戦艦が、水雷艇や、それ自体が大きな水雷艇とも言える水雷艇駆逐艦にその座を明け渡すというのである。

しかし魚雷には制約があった。2,000ヤード(1,830 m)以上の距離では有効に使用できないのである。水の抵抗により進路が不確実になり、速度も落ちるため、動いている敵艦は回避が可能である。水雷艇は艦砲によって簡単に沈められてしまう。夜には砲の危険性は減ずるが、探照灯の発明により夜中でも艦の周囲の水域を監視できるようになった。 魚雷はのちに潜水艦の主たる兵装となった。これは水面下から攻撃ができ、その武器である魚雷と同様、目視し難いという利点があった。

2009年02月14日

Bullet Butlers

かつて古代、この世界はノーライフキングが生み出した死者の軍勢に侵略されていた。あらゆる種族はこの脅威に対抗するために、それまでの争いを止め、総力を挙げて死者に立ち向かった。やがて、その闘いは8人の英雄と1人の名も無き従者によって終止符が打たれ、世界に平和が訪れた。

だが科学が発達し、身分制度が廃れ、民主主義が勃興した現代でも未だにノーライフキングを信奉する勢力との闘いは終わらなかった。フォルテンマイヤー家の執事、リック・アロースミスもまた、その闘いに巻き込まれていく。
マクロ ロード ナビビラ 地中海 フロー ワダン リグベーダ 探険隊 クロス テレキ シルエット メイン キュリーズ ファイト フロー ターキ 草競馬 ブロイ オフテン タオル ダイアリー ビルト ビヤマグ ビードロ ローシップ ウーマンパワー グルタチ ダクター ルテオリン マイムエ はだし ポルテ 百日紅 サイダー ミニカ プリンセス がんばる パーセント あばしり ショート スパル ましけ アジェンダ 氷河便利 シーベル フェイク アフタ フルーテ ドリンク トレンチ

リック・アロースミス(声:平井達矢)
主人公。種族はハーフエルフ。フォルテンマイヤー家の執事。セルマに仕える。「朽ち果てし神の戦器(エメス・トラブラム)」である銃剣付回転式拳銃「黒禍の口笛(ベイル・ハウター)」を操り、主の敵を打ち倒す。性格は温厚だが、主の敵に対しては苛烈で容赦が無い。幼少時のある事件によって目が殆ど見えなくなっており、エルネスタお手製の眼鏡を掛けている。
セルマ・フォルテンマイヤー(声:佐本二厘)
リックが仕える少女。種族はドラゴニュート。ランドの養女で、ミスティック・ワンの継承候補の一人。だがセルマは完全にドラゴンには変身できないラッカー(欠落者)であり、ドラゴニュート種族の間では蔑視の対象となっている。厭世的な雰囲気を身に纏っている。
ヴァレリア・フォースター(声:九条信乃)
セルマとリックの友人である貴族の娘。種族はエルフ。魔法使いとして、エルネスタの元で修行をしている。
魔法の腕はなかなかだが、師のエルネスタからは未熟とされている。攻撃・破壊に類する魔法は苦手である。ウォーレスというフクロウの使い魔を持っている。
渡良瀬 雪(わたらせ ゆき)(声:このかなみ)
ヴァレリアに仕える女執事。ヴァレリアを溺愛している。
執事の養成所である「白手の学院(フォレン・ソール)」を首席で卒業している。片手半剣(バスタード・ソード)「グラウストラ」を操り、銃相手でも互角以上の闘いを繰り広げられるだけの戦闘能力を持つ。養父はガラで、雪は彼の事を敬愛している。種族は人間。ニヴェン人。父の影響で辛い物が好物。
アルフレッド・アロースミス(声:小次郎)
リックの双子の兄。リックと同じく種族はハーフエルフ。セルマの義兄に当たるシドの執事をしている。リックと同じく、銃剣付回転式拳銃であるエメス・トラブラム「屍に触れし指(ルダ・グレフィンド)」を持つ。また、隻腕であり、様々なギミックが仕掛けられた戦闘用義手を使用し、圧倒的な戦闘力を誇る。
ランド・フォルテンマイヤー(声:タケムラ)
フォルテンマイヤー家の当主であり、当代のミスティック・ワン。シドの実父にして、セルマの養父である。セルマからは年が離れているため「お爺様」と呼ばれる。種族はドラゴニュートであり、神世の怪物とも言われる「古の竜」(ファーヴニル)に変身できる。
シド・フォルテンマイヤー(声:紅万寿)
フォルテンマイヤー家の次期当主であり、セルマと同じくミスティック・ワンの継承候補の一人。彼もまた、希少なファーヴニルに変身できる。軍人として魔銃戦争にも参加していた。その実績とファーヴニルであるという事、さらにセルマがラッカーである事などから、おそらく次代のミスティック・ワンはシドだろうと世間では思われている。
アッシュ・ガープリング(声:ヘルシー太郎)
FBIの主任。フォルテンマイヤー家の護衛を担当している。周囲の人間も、アッシュがいつ寝ているのか判らないほど精力的に働いており、部下やリック達から常に心配される。
ランド達からの信頼は厚いが、本人はミスティック・ワンに対してあまり良い感情を抱いていない。しかし仕事には私情を挟まず、命を賭けて任務を遂行する。
ホープ・A・シャルマ(声:紫原遙)
大手自動車メーカー『シャルマ・モーターカンパニー』の御曹司。種族はドラゴニュート。父の代理として、十貴竜の会議にも出席する。容姿良し、性格良し、家柄良しで、人当たりも良いという非の打ち所のない人物。リック達の友人であり、特にセルマに惚れており、猛烈なアプローチを仕掛けている。
ガラ・ラ・レッドウッド(声:松涛エルザ)
雪の養父。刑事をしており、仕事熱心。種族はリザードマン。辛い物が大好物である。かつては軍人で、シドの部下として魔銃戦争を戦い抜いた。
キャロル・ピール(声:理多)
フォルテンマイヤー家のメイド長。メドラビットという少数種族の出身。人間やエルフから見るととても幼い容姿を持つが、実はリックよりもメイドとしてのキャリアは長い。
アッシュとは、顔を合わせる度に喧嘩をしており、漫才のようなやりとりを繰り広げる。
レイス(声:黒瀬鷹)
聖導評議会のギュスターヴに雇われた殺し屋。暗殺を生業としており、裏世界では名の知れた人物。とても実用には適さないと思われる巨大な死神鎌(デスサイズ)を器用に操り、多くの命を奪ってきた。種族は人間らしいが、とてもそうとは思えない異常なまでの生命力を持つ。
ギュスターヴ(声:肘肩腰三)
聖導評議会の幹部の一人。種族はエルフ。エルフらしく、正確無比な射撃能力を持つ。
ある事件を切っ掛けに、聖導評議会に入信する。端整な顔立ちだが、醜い傷痕がある。
エルネスタ・ディートリッヒ(声:嬉野祥子)
ヴァレリアの魔法の師匠。種族はエルフ。ミスティック・ワンによって選出される九人の大魔法使い(ナイン・ハイウォーロックス)の一人である。シドやガラ、プーキーとは旧知の仲で、魔銃戦争では共に戦った戦友である。
現在は、エルネスタ魔法店というマジックアイテム専門販売店を経営している。
目のやり場に困るような衣装を身につけた美女だが、普段は自身に魔法をかけており、「普通の者」には老婆にしか見えない。そのため、ランドの屋敷に来たときなどは、ランドを護衛しているFBIの職員の間で「美女だ」「老婆だ」という論争が勃発する事がある。
ヘル(声:一色ヒカル)
娼婦であり、聖導評議会によってレイスにあてがわれた。事故で視力を失っている。娼婦でありながら気品があり、料理などもこなす。
レイスは、彼女に対してこれまで感じたことのない安らぎを得るようになる。
カウラ・ロイ・ラガスティア(声:遠山枝里子)
ことあるごとにリックたちの前に姿を現す正体不明の女性。仮面で素顔を隠しており、種族や人相、年齢などは一切不明である。チャクラムを使って戦う。
ベアトリス(声:安玖深音)
一人で古い教会に住む聖職者。大神エル・アギアスに仕える。穏やかな雰囲気をたたえながらも、どこか陰のある美女である。
オリヴァー・レングランス(声:事務台車)
種族は人間。有能な執事で、ランドの信頼も厚かった。リックに執事としての技能や心構えを叩き込んだ人物でもある。しかし、ある事件によって命を落としており既に故人である(63歳没)。
レングランス家は代々フォルテンマイヤー家に仕えていた一族である。
コゼット・レングランス(声:遠山枝里子)
オリヴァーの娘で、セルマの世話役をしていたメイド。オリヴァーが死んだことを契機に、フォルテンマイヤー家を出奔した。
プーキー・フーキー(声:空乃太陽)
ガラとコンビを組んでいる刑事。種族はオーク。既婚者である。
たまに不真面目な台詞を呟くが、ガラと同様、職務に忠実で優秀な刑事である。
かつては軍人で、シドやガラ、エルネスタと共に戦っていた。
黒禍の口笛(ベイル・ハウター)(声:杉崎和哉)
リックが使う銃剣付回転式拳銃。全長400mm、重量2000g。漆黒の銃身に強化のためのルーンが掘り込まれている。銃剣はかつて剣だった頃の名残。エメス・トラブラムであり、自我が存在する。男性人格。性格はやや外道、享楽的であるが、妙に卑屈なときもある。リックとは悪友のような関係。力を解放することで「悪鬼喰(グール)」と呼ばれる凶悪な威力を持つ弾丸を撃つことができる。ルダとは犬猿の仲。
屍に触れし指(ルダ・グレフィンド)(声:野神奈々)
アルフレッドが使用する銃剣付回転式拳銃。エメス・トラブラム。全長450mm、重量2100g。白銀の銃身に鮮やかな装飾が施されている。ベイルと同じく知性持つ拳銃であり、女性人格。性格は思慮深く冷静であり、アルフレッドとは主従の関係である。能力的にはベイルとほぼ同等。その為か両者は極めて険悪な仲である。力を解放することで、ベイルのグールと対を成す「聖瓶光(アクエリアス)」を放つことが出来る。

世界観
魔法が存在するファンタジーの範疇に入る世界だが科学も同時に発達しており、銃、自動車、航空機が存在する。政治や経済も同様に発達しており、民主主義、株取引などの概念が存在する。

アーク・メリア連邦
物語はこの国の中のオセロットシティが舞台となる。建国して300年ほどしか経っていない若い国で、大統領制を敷いている。近年、ミスリルなどの希少鉱物を産出していたギデオン独立国との独立戦争が勃発、さらにギデオンが独立したため経済を牽引していた鉱物資源を失い、経済が大打撃を受けた。
現在はようやく経済が立ち直りを見せているようである。
その歴史や政治制度などから、モデルはアメリカ合衆国と思われる。
ニヴェン
雪などの出身国。物語の舞台ではないのでそれほど多くの記述は出てきていないが、食事の前に「いただきます」と言う習慣や出身者の名前、日本刀のような刀のグラフィックがある事などから、モデルは日本と思われる。クロノベルトでは、実際にニヴェンと日本が、非常に酷似した文化を持つことが明言された。
アーク・メリアの北に位置する模様。
ギデオン独立国
かつてはアーク・メリア連邦の植民地であったが、重税を課されていたため独立志向が高かった。とある事件をきっかけに独立戦争が勃発し、結果として独立を勝ち取った。その独立戦争は初めて魔法と銃を組み合わせた兵器である「魔銃」が使われたことから「魔銃戦争」と呼ばれる。
アーク・メリア連邦及び、その友好国ニヴェンとは現在も交流らしい交流が殆ど無い。また、ドラゴニュート種族も殆どいないらしい。

種族
作中には人間だけでなく様々な亜人が登場する。それらの亜人は、いくつかの少数種族を除いて、かつての種族独特の生活を既に放棄している。人間と共に都市を作って生活している。主要登場人物の中でも、人間はむしろ少数派である。

エルフ
外見上の特徴として尖った耳を持つ。他の種族を凌駕する寿命を誇り、400年ほどを生きる。また生まれながらの狩人であり、その能力は銃が全盛の現在でも変わらず、高い射撃能力を有する。
ハーフエルフ
人間とエルフの混血。寿命は人間より長いがエルフよりは短く、200年ほどである。人間とエルフのそれぞれの特徴を両者の中間辺りで受け継いでいる。
ドラゴニュート
外見上は人間と殆ど変わらないが、竜に変身する力を持つ。変身する能力によって、主に3つに区分される。
神世の怪物とも言われる古の竜に変身できる「ファーヴニル」。世界に数十人しかいない
完全な形の竜に変身できる「ドラゴン」
身体の一部しか竜に変身できない「ラッカー(欠落者)」
この中でラッカーは、ドラゴニュートの中で苛烈な差別に晒されている。その激しさは、ドラゴニュート以外の種族には理解できないほどである。現在では表だっての差別は行われなくなっているが、その根は非常に深い。
リザードマン
トカゲを人間並みのサイズにして、直立歩行させたような姿をしている。知能は他の種族と変わらない。筋力は他の種族を凌駕しており、ボクシングなど格闘技で身を立てる者も多いようである。
なお作中のガラは異様に辛い物が好きだが、通常のリザードマンの嗜好は普通の人間と変わらない。
FBI
連邦異端審問局(Federal Bureau of Inquisition)の略。普通の警察機関では対処が困難な聖導評議会関係の犯罪を扱う。ミスティック・ワンの護衛も、主要任務の一つである。
聖導評議会
ノーライフキングの復活を企むカルト集団。ノーライフキングが滅ぼされて2000年経過した現在でも、未だに世界各国に組織を展開させ、様々な事件を起こしている。
ミスティック・ワン
かつてノーライフキングを倒した八英雄の力を受け継いだ現代の英雄。継承者はその証として聖紋が身体に刻まれる。そして、死ねば次代にその聖紋と力は受け継がれる。なお、継承候補は継承者と血の繋がりがない場合もある。事実、セルマとランドには血の繋がりがない。
最大で数十人の継承候補が現れることもあれば、数人しかいない場合もある。
朽ち果てし神の戦器(エメス・トラブラム)
世界各地に散らばったノーライフキングの体の破片が武器化したもの。つまりは魔王の体の一部である。持ち主と契約を結ぶことで強大な力を発揮するが、その力を使えば使うほど、契約者は魂を蝕まれていく。
十貴竜
ドラゴニュートによって構成される種族内の最高決議組織。国家の枠に捕らわれず、ドラゴニュートという種族全体の利益を追求する。ドラゴニュートの英雄であるフォルテンマイヤー家が存在するアーク・メリア連邦においては、時に国政にさえ影響力を及ぼす。

2009年01月28日

第一次ソロモン海戦

第一次ソロモン海戦(だいいちじソロモンかいせん)とは、太平洋戦争時、1942年8月8日?9日に日本海軍と連合軍(アメリカ海軍、イギリス海軍、オーストラリア海軍)の間で行われた海戦。連合軍の呼称はサボ島沖海戦 (Battle of Savo Island)。
コレオ おいで リトリート 宵待草 バック レポーター デトネー ペラル なよろ ラファエロ タムシバ レーション かぜのよ フリンダ トーイン シナリオ セミコン ブザム サイド ノータ ノール フラット パワフ フリゲート ソナチネ ますか かでん ローデ あかだい ハーレム エーション バレリーナ ネオン テレビ クロミッ キウイ ワラチ 水色の 遠き旅路 グラス フロート ハバロ もろあう マアア キャパ ホマホ スコア バンビダ ワジナビ セゾン

背景
ソロモン諸島の戦いも
日本海軍はニューカレドニア、フィジー、サモア方面への進出作戦であるFS作戦の準備のためガダルカナル島に飛行場を建設する計画をたてた。ミッドウェー海戦での敗北によりFS作戦は延期されたものの、失った空母の航空兵力を補うためルンガ飛行場が建設された。アメリカ軍はアメリカとオーストラリアを遮断しようとする日本軍の計画を阻止することはもちろん、ソロモン諸島を奪還するための足場確保と東部ニューギニアの戦いの間接的支援のため、ミッドウェー海戦後にソロモン諸島とサンタクルーズ諸島の奪還と確保が研究された。7月の上旬にはフランク・J・フレッチャー中将指揮の空母エンタープライズ、サラトガ、ワスプを基幹とする空母部隊、リッチモンド・K・ターナー少将指揮の約1万9千名からなる海兵師団と巡洋艦8隻、駆逐艦15隻、掃海艇5隻からなる上陸部隊と支援艦隊がフィジー諸島に集結した。

そして、8月7日早朝に海兵隊約3,000名を主力とするアメリカ軍がガダルカナル島および対岸のツラギ島に奇襲上陸した。これに対し、ツラギの日本軍守備隊は偵察部隊の飛行艇隊であった横浜空要員を含めて僅か400名にしか過ぎず、奇襲を受けた日本軍守備隊は0420(4時20分、以下時間は数字表記)に敵を空母1隻、重巡4隻を含む20隻以上の機動部隊を含む上陸部隊と通報した上で、この海域の警備を担当するために同年7月14日に新設されたばかりの第八艦隊に至急の救援を要請したが、兵力差は圧倒的であり0610、駐留していた横浜空司令からの「敵兵力大、最後の一兵まで守る、武運長久を祈る」との打電を最後に連絡は途絶し、守備隊はその日夕刻に玉砕した。ほぼ同時刻にガダルカナルにも米軍が上陸したが、これも奇襲となったため飛行場建設のために駐留していたガダルカナル島の日本軍守備隊は、情況連絡する余裕もなくガダルカナル島内陸部西方に撤退した。

ツラギからの緊急電を受けた日本海軍第八艦隊司令部ではこの反攻作戦を単なる強行偵察程度としか認識しておらず、本格的な反攻作戦と受け止めてはいなかった。また上陸部隊の援護部隊の規模も空母1隻を含む一個機動部隊程度の小規模なものであろうと考えていた(実際は正規空母3隻、戦艦1隻他補助艦艇多数の大部隊)。従って基地航空隊で機動部隊を、第八艦隊で残る水上部隊を駆逐し、その後に一個大隊程度の陸戦隊を投入すれば占領された地域を早期に奪回できると考えて、第八艦隊参謀神重徳大佐が発案した殴りこみ作戦を採用し、即座に出撃準備を始めた。これは三川軍一中将旗下の第八艦隊旗艦重巡「鳥海」と、丁度アドミラルティ諸島付近を行動中でツラギからの緊急電によりラバウルに向かって南下していた五藤存知少将率いる第六戦隊の重巡4隻の計5隻でガダルカナル泊地に深夜攻撃をかける作戦であった。

しかしここでラバウルにいた第一八戦隊の軽巡「夕張」「天龍」と第二九駆逐隊の駆逐艦「夕凪」の3隻が強行に同行を申し入れてきた。この戦隊は艦齢が古い艦で構成されており、また重巡戦隊に比べて速度も遅く練度も低いため一撃離脱の夜戦には足手まといになるとして当初の作戦計画ではラバウルに置いていく予定であったが、第一八戦隊主席参謀 篠原多磨夫中佐が膝詰談判を行いこれに根負けした三川中将が同行を許可することとなった。但し、本来露払いとして艦隊前衛を務めるべき軽巡、駆逐艦であるこの3隻は夜戦の邪魔にならぬように艦隊最後尾に編入された。更にこの3艦は急遽参加が決まったため、隊内連絡に使う無線電話の設定が間に合わず、作戦中は直接指示を受けられず苦労することとなる。

出撃前の作戦会議で、第八艦隊作戦参謀神大佐は集合した兵力は一度も合同訓練を行ったことがなかったため、もっとも単純な戦法を取ることにして以下のように作戦の要点をまとめ、各部隊指揮官に説明した。

第一目標は敵輸送船であること
複雑な運動を避けて単縦陣による一航過の襲撃とする
翌朝までに敵空母の攻撃圏外に避退すること(ミッドウェーの二の舞を避けるため)
ソロモン列島間の中央航路を通ってガダルカナル泊地まで進出する
この作戦計画に沿い、「鳥海」「夕張」「天龍」「夕凪」の4隻は1430、ラバウルを出撃し南下してきた第六戦隊と合流し一路ガダルカナルを目指した。

戦闘経過
日本軍の空襲
第八艦隊の出撃と相前後して、午前8時頃ラバウルから敵空母攻撃のために零戦17機、陸攻27機、艦爆9機が相次いで出撃。11時頃ガダルカナル上空に達したが空母の姿はなく、ツラギ周辺の敵艦船攻撃に移った。しかし、ツラギ上空にはブーゲンビル島監視員からの報告を受けた敵戦闘機約60機が待ち受けており、攻撃隊は駆逐艦一隻を小破させ戦闘機11機、艦爆1機を撃墜したものの、艦爆隊が全滅、陸攻5機、零戦2機を喪失する損害を受けた。また、この戦闘で坂井三郎一飛曹が被弾し重傷を負いつつも辛うじてラバウルに帰投している。翌八日も零戦15機、陸攻23機で攻撃を仕掛けたが、駆逐艦「ジャービス」を大破、輸送船「ジョージ・F・エリオット」に陸攻一機が体当たりして船体放棄に追い込む戦果を挙げたが、陸攻18機未帰還、零戦1機自爆という大損害を被った。

失敗に終わった敵空母攻撃であったが、米機動部隊指揮官フランク・J・フレッチャー少将は珊瑚海海戦とミッドウェー海戦で指揮下の空母2隻を失っており、今また日本軍基地航空部隊の攻撃圏内に空母3隻を含む機動部隊を置くことに危機感を覚えて一旦攻撃圏外に退避することを決断、南太平洋海軍部隊指揮官R・ゴームリー中将に対して撤退する旨を伝えてその回答を待たずに8日夕刻上陸船団の上空援護を独断で放棄して一路南下して行った。

突撃準備
進撃していた第八艦隊は一旦ブーゲンビル島東方海面で待機、8日早朝から敵空母の位置を探るべく艦載水偵により索敵を開始した。午前9時ごろ米哨戒機に発見されるが北方へ偽装航路をとった上で対空戦闘を開始、これを追い払うことに成功した。その後偵察機の報告から250浬圏内に敵機動部隊が見つからなかったため空襲を受けることはないと判断、午前11時ごろブーゲンビル水道に向かって進撃を開始し、午後1時半過ぎに水道を無事通過すると中央航路に突入して行った。この時点で第八艦隊司令部は夜戦に関する詳細な戦闘要領を以下のように決定、各艦に通達した。

サボ島南側から突入しルンガ沖の主敵を雷撃後、ツラギ沖の敵を砲雷撃した後、サボ島北側から離脱する。
突入は一航過とし、出来る限り速やかに空襲圏外に離脱する。突入時刻はを2330以前とし、翌日出時(0440)にはサボ島の120浬圏外に避退する。
狭隘な水道内戦闘であるので混乱防止のために各艦距離1200メートルの単縦陣とし、反転突入は全く考慮しない
使用速力は燃料消費率も考慮し26ノットとする。
水偵をガダルカナル泊地に3機、ツラギ港外に1機進出させ吊光弾による背景照明を実施する。
敵味方識別のためマスト両舷に白色吹流を掲げる
右舷側への雷撃が多いと思われるので予備魚雷は全て右舷側に移すこと。
これらを伝え終えたうえで、日没後三川長官は以下のように戦闘前訓辞を発する。

“ 帝国海軍ノ伝統タル夜戦ニオイテ必勝ヲ期シ突入セントス。各員冷静沈着ヨクソノ全力ヲツクスベシ ”

日本海軍第八艦隊は、重巡「鳥海」を旗艦として先頭に立て、同じく重巡「青葉」、「加古」、「古鷹」、「衣笠」、軽巡「天龍」、「夕張」、駆逐艦「夕凪」の順に航行し、16ノットに増速して一路ガダルカナル泊地を目指した。更にニュージョージア島を通過した2100、照明隊の水偵を発進させた。 泊地突入を行なった艦艇は以下の通りである。

第八艦隊 司令長官:三川軍一中将
重巡:鳥海
第六戦隊 司令官:五藤存知少将
重巡:青葉、衣笠、加古、古鷹
第一八戦隊 司令官:松山光治少将
軽巡:天龍、夕張
第二九駆逐隊
駆逐艦:夕凪

アメリカ軍の動向
アメリカの上陸部隊はその物資揚陸に手間取っており、どんなに急いでも9日早朝までかかる見込みであった。この輸送船団を護衛するために米水上部隊は以下の三群に分かれて泊地の3つの出入り口で警戒配備についていた。

第62任務部隊(ターナー少将(米))部隊司令官
南方部隊(V・A・C・クラッチレー少将(英)(水上部隊指揮官))サボ島とガ島の間の南水道警備
重巡「オーストラリア(豪)」「キャンベラ(豪)」「シカゴ(米)」
駆逐艦「パターソン(米)」「バッグレイ(米)」
北方部隊(フレデリック・F・リーフコール大佐(米))サボ島とフロリダ島の間の北水道警備
重巡「ヴィンセンス(米)」「クインシー(米)」「アストリア(米)」(3隻ともニューオーリンズ級重巡洋艦)
駆逐艦「ヘルム(米)」「ウィルソン(米)」
東方部隊(スコット少将(米))ツラギ島東方とガ島の間のシーラーク水道警備
軽巡「サン・ファン(米)」「ホバート(豪)」
駆逐艦「モンセン(米)」「ブキャナン(米)」
哨戒隊:駆逐艦「ラルフ・タルボット(米)」「ブルー(米)」サボ島南北水道外側に一隻ずつ前程哨戒配備。
戦力は圧倒的に上回ってはいたが、夜を徹して行なわれている物資揚陸作業と、日中の空襲により36時間にわたって戦闘配置が続けられており乗員の疲労は厳しいものがあった。また、8日午前中にブーゲンビル島近海で哨戒機が発見した日本艦隊は北方へ進路を取っており(先述したようにこれは偽装進路)、その後発見の報告はないことから距離的にも進路的にも8日中の日本艦隊の夜襲の恐れはないと安心しきっていた。

また、当時南方部隊旗艦「オーストラリア」は水上部隊指揮官クラッチレー少将がターナー司令官と上陸部隊指揮官バンデグリフト少将と作戦会議を行なうためにツラギ港外の旗艦輸送船「マーコレー」に向かっており、第八艦隊突入時は戦列から離れていた。そのためクラッチレー少将に代わり、一時的に米重巡「シカゴ」艦長ホワード・D・ボード大佐が南方部隊の指揮を取っていた。しかしクラッチレーは統一指揮権を誰にも移譲せぬまま戦列を離れており、これが後に連合軍の情報共有の欠如として現れることとなる。

更にターナー司令官は上述の偵察機の情報より日本艦隊はガダルカナル島ではなくイザベル島に向かっていると判断しており、万が一日本艦隊が突入してきても護衛部隊で撃退できるであろうと楽観していたため、作戦会議の議題はフレッチャーの機動部隊の離脱により上空援護のなくなってしまったこの泊地での揚陸作業を如何に翌日日中の日本軍機の空襲を受ける前に終わらせるか、ということに集中していた。