第一次ソロモン海戦(だいいちじソロモンかいせん)とは、太平洋戦争時、1942年8月8日?9日に日本海軍と連合軍(アメリカ海軍、イギリス海軍、オーストラリア海軍)の間で行われた海戦。連合軍の呼称はサボ島沖海戦 (Battle of Savo Island)。
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背景
ソロモン諸島の戦いも
日本海軍はニューカレドニア、フィジー、サモア方面への進出作戦であるFS作戦の準備のためガダルカナル島に飛行場を建設する計画をたてた。ミッドウェー海戦での敗北によりFS作戦は延期されたものの、失った空母の航空兵力を補うためルンガ飛行場が建設された。アメリカ軍はアメリカとオーストラリアを遮断しようとする日本軍の計画を阻止することはもちろん、ソロモン諸島を奪還するための足場確保と東部ニューギニアの戦いの間接的支援のため、ミッドウェー海戦後にソロモン諸島とサンタクルーズ諸島の奪還と確保が研究された。7月の上旬にはフランク・J・フレッチャー中将指揮の空母エンタープライズ、サラトガ、ワスプを基幹とする空母部隊、リッチモンド・K・ターナー少将指揮の約1万9千名からなる海兵師団と巡洋艦8隻、駆逐艦15隻、掃海艇5隻からなる上陸部隊と支援艦隊がフィジー諸島に集結した。
そして、8月7日早朝に海兵隊約3,000名を主力とするアメリカ軍がガダルカナル島および対岸のツラギ島に奇襲上陸した。これに対し、ツラギの日本軍守備隊は偵察部隊の飛行艇隊であった横浜空要員を含めて僅か400名にしか過ぎず、奇襲を受けた日本軍守備隊は0420(4時20分、以下時間は数字表記)に敵を空母1隻、重巡4隻を含む20隻以上の機動部隊を含む上陸部隊と通報した上で、この海域の警備を担当するために同年7月14日に新設されたばかりの第八艦隊に至急の救援を要請したが、兵力差は圧倒的であり0610、駐留していた横浜空司令からの「敵兵力大、最後の一兵まで守る、武運長久を祈る」との打電を最後に連絡は途絶し、守備隊はその日夕刻に玉砕した。ほぼ同時刻にガダルカナルにも米軍が上陸したが、これも奇襲となったため飛行場建設のために駐留していたガダルカナル島の日本軍守備隊は、情況連絡する余裕もなくガダルカナル島内陸部西方に撤退した。
ツラギからの緊急電を受けた日本海軍第八艦隊司令部ではこの反攻作戦を単なる強行偵察程度としか認識しておらず、本格的な反攻作戦と受け止めてはいなかった。また上陸部隊の援護部隊の規模も空母1隻を含む一個機動部隊程度の小規模なものであろうと考えていた(実際は正規空母3隻、戦艦1隻他補助艦艇多数の大部隊)。従って基地航空隊で機動部隊を、第八艦隊で残る水上部隊を駆逐し、その後に一個大隊程度の陸戦隊を投入すれば占領された地域を早期に奪回できると考えて、第八艦隊参謀神重徳大佐が発案した殴りこみ作戦を採用し、即座に出撃準備を始めた。これは三川軍一中将旗下の第八艦隊旗艦重巡「鳥海」と、丁度アドミラルティ諸島付近を行動中でツラギからの緊急電によりラバウルに向かって南下していた五藤存知少将率いる第六戦隊の重巡4隻の計5隻でガダルカナル泊地に深夜攻撃をかける作戦であった。
しかしここでラバウルにいた第一八戦隊の軽巡「夕張」「天龍」と第二九駆逐隊の駆逐艦「夕凪」の3隻が強行に同行を申し入れてきた。この戦隊は艦齢が古い艦で構成されており、また重巡戦隊に比べて速度も遅く練度も低いため一撃離脱の夜戦には足手まといになるとして当初の作戦計画ではラバウルに置いていく予定であったが、第一八戦隊主席参謀 篠原多磨夫中佐が膝詰談判を行いこれに根負けした三川中将が同行を許可することとなった。但し、本来露払いとして艦隊前衛を務めるべき軽巡、駆逐艦であるこの3隻は夜戦の邪魔にならぬように艦隊最後尾に編入された。更にこの3艦は急遽参加が決まったため、隊内連絡に使う無線電話の設定が間に合わず、作戦中は直接指示を受けられず苦労することとなる。
出撃前の作戦会議で、第八艦隊作戦参謀神大佐は集合した兵力は一度も合同訓練を行ったことがなかったため、もっとも単純な戦法を取ることにして以下のように作戦の要点をまとめ、各部隊指揮官に説明した。
第一目標は敵輸送船であること
複雑な運動を避けて単縦陣による一航過の襲撃とする
翌朝までに敵空母の攻撃圏外に避退すること(ミッドウェーの二の舞を避けるため)
ソロモン列島間の中央航路を通ってガダルカナル泊地まで進出する
この作戦計画に沿い、「鳥海」「夕張」「天龍」「夕凪」の4隻は1430、ラバウルを出撃し南下してきた第六戦隊と合流し一路ガダルカナルを目指した。
戦闘経過
日本軍の空襲
第八艦隊の出撃と相前後して、午前8時頃ラバウルから敵空母攻撃のために零戦17機、陸攻27機、艦爆9機が相次いで出撃。11時頃ガダルカナル上空に達したが空母の姿はなく、ツラギ周辺の敵艦船攻撃に移った。しかし、ツラギ上空にはブーゲンビル島監視員からの報告を受けた敵戦闘機約60機が待ち受けており、攻撃隊は駆逐艦一隻を小破させ戦闘機11機、艦爆1機を撃墜したものの、艦爆隊が全滅、陸攻5機、零戦2機を喪失する損害を受けた。また、この戦闘で坂井三郎一飛曹が被弾し重傷を負いつつも辛うじてラバウルに帰投している。翌八日も零戦15機、陸攻23機で攻撃を仕掛けたが、駆逐艦「ジャービス」を大破、輸送船「ジョージ・F・エリオット」に陸攻一機が体当たりして船体放棄に追い込む戦果を挙げたが、陸攻18機未帰還、零戦1機自爆という大損害を被った。
失敗に終わった敵空母攻撃であったが、米機動部隊指揮官フランク・J・フレッチャー少将は珊瑚海海戦とミッドウェー海戦で指揮下の空母2隻を失っており、今また日本軍基地航空部隊の攻撃圏内に空母3隻を含む機動部隊を置くことに危機感を覚えて一旦攻撃圏外に退避することを決断、南太平洋海軍部隊指揮官R・ゴームリー中将に対して撤退する旨を伝えてその回答を待たずに8日夕刻上陸船団の上空援護を独断で放棄して一路南下して行った。
突撃準備
進撃していた第八艦隊は一旦ブーゲンビル島東方海面で待機、8日早朝から敵空母の位置を探るべく艦載水偵により索敵を開始した。午前9時ごろ米哨戒機に発見されるが北方へ偽装航路をとった上で対空戦闘を開始、これを追い払うことに成功した。その後偵察機の報告から250浬圏内に敵機動部隊が見つからなかったため空襲を受けることはないと判断、午前11時ごろブーゲンビル水道に向かって進撃を開始し、午後1時半過ぎに水道を無事通過すると中央航路に突入して行った。この時点で第八艦隊司令部は夜戦に関する詳細な戦闘要領を以下のように決定、各艦に通達した。
サボ島南側から突入しルンガ沖の主敵を雷撃後、ツラギ沖の敵を砲雷撃した後、サボ島北側から離脱する。
突入は一航過とし、出来る限り速やかに空襲圏外に離脱する。突入時刻はを2330以前とし、翌日出時(0440)にはサボ島の120浬圏外に避退する。
狭隘な水道内戦闘であるので混乱防止のために各艦距離1200メートルの単縦陣とし、反転突入は全く考慮しない
使用速力は燃料消費率も考慮し26ノットとする。
水偵をガダルカナル泊地に3機、ツラギ港外に1機進出させ吊光弾による背景照明を実施する。
敵味方識別のためマスト両舷に白色吹流を掲げる
右舷側への雷撃が多いと思われるので予備魚雷は全て右舷側に移すこと。
これらを伝え終えたうえで、日没後三川長官は以下のように戦闘前訓辞を発する。
“ 帝国海軍ノ伝統タル夜戦ニオイテ必勝ヲ期シ突入セントス。各員冷静沈着ヨクソノ全力ヲツクスベシ ”
日本海軍第八艦隊は、重巡「鳥海」を旗艦として先頭に立て、同じく重巡「青葉」、「加古」、「古鷹」、「衣笠」、軽巡「天龍」、「夕張」、駆逐艦「夕凪」の順に航行し、16ノットに増速して一路ガダルカナル泊地を目指した。更にニュージョージア島を通過した2100、照明隊の水偵を発進させた。 泊地突入を行なった艦艇は以下の通りである。
第八艦隊 司令長官:三川軍一中将
重巡:鳥海
第六戦隊 司令官:五藤存知少将
重巡:青葉、衣笠、加古、古鷹
第一八戦隊 司令官:松山光治少将
軽巡:天龍、夕張
第二九駆逐隊
駆逐艦:夕凪
アメリカ軍の動向
アメリカの上陸部隊はその物資揚陸に手間取っており、どんなに急いでも9日早朝までかかる見込みであった。この輸送船団を護衛するために米水上部隊は以下の三群に分かれて泊地の3つの出入り口で警戒配備についていた。
第62任務部隊(ターナー少将(米))部隊司令官
南方部隊(V・A・C・クラッチレー少将(英)(水上部隊指揮官))サボ島とガ島の間の南水道警備
重巡「オーストラリア(豪)」「キャンベラ(豪)」「シカゴ(米)」
駆逐艦「パターソン(米)」「バッグレイ(米)」
北方部隊(フレデリック・F・リーフコール大佐(米))サボ島とフロリダ島の間の北水道警備
重巡「ヴィンセンス(米)」「クインシー(米)」「アストリア(米)」(3隻ともニューオーリンズ級重巡洋艦)
駆逐艦「ヘルム(米)」「ウィルソン(米)」
東方部隊(スコット少将(米))ツラギ島東方とガ島の間のシーラーク水道警備
軽巡「サン・ファン(米)」「ホバート(豪)」
駆逐艦「モンセン(米)」「ブキャナン(米)」
哨戒隊:駆逐艦「ラルフ・タルボット(米)」「ブルー(米)」サボ島南北水道外側に一隻ずつ前程哨戒配備。
戦力は圧倒的に上回ってはいたが、夜を徹して行なわれている物資揚陸作業と、日中の空襲により36時間にわたって戦闘配置が続けられており乗員の疲労は厳しいものがあった。また、8日午前中にブーゲンビル島近海で哨戒機が発見した日本艦隊は北方へ進路を取っており(先述したようにこれは偽装進路)、その後発見の報告はないことから距離的にも進路的にも8日中の日本艦隊の夜襲の恐れはないと安心しきっていた。
また、当時南方部隊旗艦「オーストラリア」は水上部隊指揮官クラッチレー少将がターナー司令官と上陸部隊指揮官バンデグリフト少将と作戦会議を行なうためにツラギ港外の旗艦輸送船「マーコレー」に向かっており、第八艦隊突入時は戦列から離れていた。そのためクラッチレー少将に代わり、一時的に米重巡「シカゴ」艦長ホワード・D・ボード大佐が南方部隊の指揮を取っていた。しかしクラッチレーは統一指揮権を誰にも移譲せぬまま戦列を離れており、これが後に連合軍の情報共有の欠如として現れることとなる。
更にターナー司令官は上述の偵察機の情報より日本艦隊はガダルカナル島ではなくイザベル島に向かっていると判断しており、万が一日本艦隊が突入してきても護衛部隊で撃退できるであろうと楽観していたため、作戦会議の議題はフレッチャーの機動部隊の離脱により上空援護のなくなってしまったこの泊地での揚陸作業を如何に翌日日中の日本軍機の空襲を受ける前に終わらせるか、ということに集中していた。